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鳥取砂丘の草原化

 鳥取県では、第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)から砂丘地内の砂の移動を止め、農地を確保し、集落を守ることを目的に本格的な植林(飛砂防備保安林)を開始した。植林後20数年、保安林はその機能を発揮し、砂の移動は大幅に制御されたが、反面、砂丘の固定化がはじまり、植物が次第に砂丘を覆いはじめ草原化の様相を呈してきた。
 鳥取県は、大正時代のはじめから県の事業として砂防林の整備に力を入れてきたが、本格的な植林は、1932年(昭和7年)鳥取高等農学校(現鳥取大学農学部)が開発した飛砂防備林の具体的なシステムの確立をまつことになる。
 鳥取砂丘は、第二次世界大戦が終結する1945年(昭和20年)までは、その大部分は旧陸軍の演習地であったところから、自然のままの砂地として放置されていた。大々的な植林は、大戦終結後の1948年(昭和23年)からはじまり、1957年(昭和32年)頃には鳥取大学乾燥地研究センター北方の一部と、浜坂スリバチの北域及び追後スリバチの北域を除く他の砂地は植林されていった。(植林面積720ha)
 鳥取市では、砂の移動を促進し、砂丘本来の景観を取り戻すため、1972年と1974年の2か年度に砂丘北西域の保安林を15ha伐去した。しかし、十分な効果が得られなかったことから、1982年、1983年の両年度に隣接地の保安林を17.3ha除去した。その結果、季節風による砂の移動は認められたが、メマツヨイグサやメヒシバなどの侵入を阻止することができず、これらが砂丘本来の植物であるコウボウムギやケカモノハシ等に取って代わる勢いになってきた。

出典:鳥取砂丘景観保全調査報告書(H13.3.31、鳥取砂丘景観保全協議会、西村氏担当箇所)

鳥取砂丘では平成2年ごろに地面が見えないくらい雑草が繁茂したり、松が生えたりしました。中には、背丈2mに達するヨシや柳まで生えていたという記録があります。

●1967年の植生図
●1979年の植生図
●1991年の植生図
●2006年の植生図(除草前)
●2006年の植生図(除草後)

[解説]
 1967年にはチガヤ以外の外来植物群落がなかったことがわかる。1979年になるとコウボウムギ、ケカモノハシが増加するとともに外来植物の分布が広がり、西側に大きなメヒシバ群落が出現している。この場所は1973年の砂防林伐採跡地で、そこにメヒシバが大規模に発芽し生育したものである。植生面積が増加する「草原化」は二度目の伐採を行った80年代にさらに進み、1991年には北西側に切れ目なく植物が生育し、第二砂丘列の南側にも外来植物が多く出現した。この直後から機械を使用した定期的な除草が始まり、2006年(除草前)には植生分布面積は減少に転じた。植生面積が砂丘全体に占める割合は24%(1967)→39%(1979)→42%(1991)→32%(2006)と推移していることが明らかとなった。この数字は2006年の除草後には19%に下がる。

出典:2007年度企画展展示解説書(鳥取県立博物館、永松氏執筆)